フィクションと劇場型犯罪の世界

劇場型犯罪の魅力

 劇場型犯罪という物をご存知だろうか? これはグリコ・森永事件の時代に改めて定義された概念の一つであり、社会を一つの劇場として、犯罪者と警察が役者として演じ、マスコミの報道によって視聴者がそれを観覧するという一種の劇のような要素がある犯罪の事を言い、特にその犯罪の傾向としてマスコミの報道機能を利用して、一つの目的を押し通す為のものや、また一種の愉快犯であることが多いのだが、脚本とも言えるその犯行計画の内容に、一部の人は本当に劇と同じような楽しみを見いだしてしまう人もいるようなのである。

 実際に社会に対し、悪影響をもたらしている犯罪でありながら、それは警察の一斉検挙番組もとい、クライム・サスペンスもとい、フィクション、ノンフィクションの分野を問わず、大小問わずある意味では娯楽として成立しており、中にはクライム・サスペンスと呼ばれるジャンルとして一定の支持を集める物もあるようなのである。

 これに対して、あまりにも不謹慎であるという意見を持つ人も少なからずいるかと思うが、ある意味では、この劇場型犯罪が面白いと思ってしまっても仕方がない側面も少なからずあるのだ。

 一体、その側面とは、どのようなものがあるのだろうか。それには大まかにJ3つの要因があると考えられている。

そもそも他人事

 そもそも我々は、自分の身に降りかかるであろう脅威以外には、大して興味を抱かない傾向がある。今現在も多種多様な犯罪が世界中で発生しているが、その殆どに興味を抱かずとも生きていけてしまうのだ。

 特に日本においては非常に治安がいいことから、まさにこの犯罪というものに対して、ある種の都市伝説のような感想を抱いている人も少なからずおり、それ故に、一種の娯楽として楽しめてしまえるという側面があるのだろう。

大小の対立

 この劇場型犯罪で最も多いパターンの一つに大小の対立で魅せるという物がある。これはストーリーを面白くするための一種の技術ではあるのだが、劇場型犯罪においても、フィクション、ノンフィクション問わず、この仕組みをふんだんに利用している物が非常に多いのである。

 例えば、大企業と犯罪者、はたまた、政府と犯罪者というある種の窮鼠猫を噛むを地で行く構造の事を言うのだが、大小の対立によって、犯罪を行っていながらも、犯人に対して一種の同調感、そして次の犯行に対しての興味が生まれてしまうという事も多くあるのである。

 中には政府対犯罪者という構図などであると、政府や政治に対して、あまり芳しく思っていない人が、普遍的には多い為、自分に実害が及んでいなければ、痛快だと思ってしまう人もいるようなのである。

 これは昔話でも一寸法師や桃太郎などといった、小さきもの、弱き者が、大きな物と戦うという構図は存在しており、古くから日本人に愛されてきた物語の形式美なのだと言えそうだが、実際にそれが本当に社会に対して大きな悪影響をもたらしていたとしたら本当に問題である。

マスコミの報道の問題

 また一つの要因には、マスコミの報道の問題なども勿論存在する。特にこれらの劇場型犯罪はわかりやすい構図と、興味をそそられるようなスクリプト(脚本)が存在することが多く、ついついニュース番組などで、その犯人の動向をまるでクライム・サスペンスの映画を上映するかの如く、報じてしまう傾向がある。特に、ニュースコメンテーターによる、犯人像の推理といったものや、犯行に対するコメント、そして実際に犯人逮捕がなされた際に行われる、犯人の心の闇(本当にそんなものがあるのかどうか懐疑的だが)に迫るようなテンプレート番組などに関しては一定の需要や、数字を稼げるものになっており、結局の所、報道の自由を掲げながらも、こうした犯罪者の片棒を担ぎながらも、野次馬視聴者と、放送局自体の利益や興味を満足させるようなものに終始しているというのが現状なわけである。

マスコミによる劇場型犯罪

 現実の中の劇場型犯罪で真っ先に問題としてあげられるのが、マスコミによる加熱報道だろう何故、これらが問題として取り上げられるかというと、一つ目が、この劇場型犯罪という物自体がある意味では、マスコミが広く報じない限りは効力を発揮しないものであることが多いからである。特に日本での劇場型犯罪でもっとも多い、企業へ対するテロ行為などは、テロが行われる可能性があるとわかった時点で、企業が必ず対策をしなくてはならないといったような風潮があり、特にマスコミによる加熱報道が行われた場合には、「〇〇を辞めなければ〇〇する」といった要求を飲まなくてはいけなくなる可能性も高くなってくるからだ。

 特に出版に対してのテロ行為が行われた黒子のバスケ事件などでは、結果としてある書店は、テロ行為者の要求をのみ、書店に黒子のバスケを並べないといった情けない状況になっていたのだが、仮に何らかの問題が発生してしまった際には、日本人とそのマスコミは対策を怠った企業を叩く傾向にあるため、とばっちりだが仕方がないという側面もある。

 また他にも元々有名になるために、自分の力を見せつけるためにこれらの劇場型犯罪に及んでいる犯罪者からしてみれば、マスコミに報じられたいが為に、更に過激な方向へとエスカレートしていく可能性もある。

 そして二つ目が、マスコミによる誤認報道である。これは特にPC遠隔操作事件において、とある大学生が誤認にもかかわらず大々的に報じられた事によって大学を除籍処分となったものが特に有名だが、あとあとから、その人物は犯人では無かったという事がわかってしまっている。また、世の中を騒がせている事件の真実に迫るなどと、ニュース上で推理ごっこを始め、いたずらに犯人でない人の地位を貶めておきながらも、後で訂正する事は少ないといった問題もあるだろう。特にこのケースではニュース記者やコメンテーター自体が確証バイアスというものにかかっている可能性がある。

確証バイアス

 特に、最近ではネット上で、マスコミ関係者が予めシナリオを決めて報道を行っている、インタビューを行っているという事に対して批判が上がっているが、これは一概に責めるべきものではなく、人間なら誰でも陥りがちな確証バイアスの状況にあるといえる。

 確証バイアスというのは元々社会心理学の用語なのだが、人はだれでも無意識のうちに自分にとって都合のいい情報や、自分の主張を後押しするような情報をばかりを集めてしまう傾向があり、とくにこの傾向が行き過ぎると視野が非常に狭くなり、思考が偏ってしまったり、また大きな間違いを犯してしまう可能性がある。そんな状態に自分は陥らないと思っているかもしれませんが、これは現在のいじめ問題や、オレオレ詐欺といったものにも関わってきている問題です。特にこの確証バイアスの状況の人間に対して否定的な意見を投げると拒否されるという事がわかっていることから、銀行での振り込め詐欺送金防止の声掛けの際には「振り込め詐欺じゃないですか?」と声をかけるのが禁止されたぐらいなのである。そういう現場では、とにかく話を聞き、頭ごなしに詐欺だと否定すること無く一つ一つ確証バイアスを解いていくといった手法が使われている。特に何かの報道がなされる時には二つの意見を同時に報ずること無く、一つの結論に落ち着くように報じてしまうことが多い上に、視聴者もそれを信用し、偏向して理解してしまうため、この問題は更に顕著になっているのである。

 特に簡単な例を上げると、テレビのニュースなどで〇〇犯罪の容疑者と報道されると、間違いなくほとんどの人が、「この人は悪い人だ」「この人が犯人なんだ」と判断してしまうかと思うが、それも一種の確証バイアスなのだ。実際にはどれだけ犯人らしかろうと、裁判によって有罪判決が出ない限りは犯罪者ではないともいえるのである。

フィクションの中の劇場型犯罪

 勿論、現実の中でのこれらの問題や、劇場型犯罪に対して不用意に「面白い」などと言えば、袋叩きに合うなどの、炎上必至な事態へと発展してしまう可能性があるが、フィクションの世界であれば、そんなものとは無用である。

 例えば、フィクションの世界で実際に「劇場型犯罪」について刻名に描いた代表作といえば、やはり宮部みゆきの『模倣犯』が上がるだろう。他にも、高村薫のレディー・ジョーカーという作品ではグリコ・森永事件をモチーフとして取り扱っており、さらに、大ベストセラーにもなった雫井脩介の『犯人に告ぐ』という作品では、この劇場型犯罪を全く逆の立場から描いた劇場型捜査という物を物語の核に起き、恐ろしいほどの筆の冴えを見せつけている。

 このように様々な小説作品だけでなく、現在ではアニメや映画などの分野へも、その劇場型犯罪というものは、クライム・サスペンスという1ジャンルとして大きく羽ばたき、様々な観客を魅了してやまない。このサイトではそんな現実世界での劇場型犯罪と、フィクションの中の劇場型犯罪について紹介して、特に後者に関しては、その面白さについて詳しく語るつもりでいる。

劇場型犯罪と劇団型犯罪

 ちなみに劇場型犯罪と最近引き起こっている劇団型犯罪がある種の混同を見せているが、これは似たような用語ではあるが全く違うものである。 劇団型犯罪とは最近の振り込め詐欺の中でも最も手の込んだ手口の事を言い、警察や弁護士、家族役といった、詐欺を働く上で必要な役者を揃えて行うという大掛かりな詐欺犯罪のことである。特に、前述した確証バイアスを大いに補強するような役割があり、実際には「そんな振り込め詐欺なんぞに引っかかるものか」などと余裕しゃくしゃくでいる人ほど、危険であり、なんだかんだで「詐欺なのではないか」という疑いを持ちつつも、最終的には振り込まされてしまうといった事案が数多く報告されている。これは一見字面で劇場型犯罪と区別がつかないかも知れないが、全く別の語であるので留意して欲しい。